今年のノーベル生理学医学賞に、新型コロナウイルスで実用化された『メッセンジャーRNAワクチン』開発の立役者である、アメリカ・ペンシルベニア大学の研究者、カタリン・カリコ特任教授(68)と、ドリュー・ワイスマン教授(64)の2人が選ばれました。パンデミックに対し、前例のないワクチン開発への貢献が評価されました。
カリコ氏:「(Q.どこで、どのように知らせを聞きましたか)私は寝ていました。実は夫が電話を取りました。誰かが冗談を言っているんだと思いました。夫がドイツのビオンテック社が正しい場所じゃないかと言ってくれました。『トライしてみよう。後悔させない』って言ってくれました」
ノーベル賞選考委員会 トーマス・パールマン氏:「本日、2023年ノーベル生理学医学賞は、カタリン・カリコ氏とドリュー・ワイスマン氏に決定しました」
ノーベル賞選考委員会:「研究者たちはメッセンジャーRNAの医学利用に長年、関心を持っていました。mRNAに基づく未来のワクチンは拡張性と柔軟性に富む可能性があります」
ドイツの医薬品会社『ビオンテック』の上級副社長も務める、カリコ氏。自宅は一見、華やかな経歴を思わせます。しかし、その半生は、絵本にもなるほど数奇なものでした。
カリコ氏:「私について書かれた本『科学者になりたかった女の子』です。実験をやって、たくさん勉強して、夜も。これは私の夫ですね」
もともとはハンガリーの出身のカリコ氏。高校生のころ、科学者を志し、20代で遺伝物質の研究を始めます。転機を迎えたのは30歳。当時、社会主義体制だったハンガリーは、1980年代に入り、経済が停滞。研究費が打ち切られるなど、活動が続けられなくなりました。そこで、夫と、2歳の娘とともに、アメリカに渡る決断をします。しかし、そこには問題が…。
カリコ氏:「当時、ハンガリーでは外貨の所有が認められてなくて」
国外へ持ち出せるお金が、わずか100ドルと限られていたといいます。家族3人の生活をつなぐには、とても足りません。そこで…。
カリコ氏:「クマのぬいぐるみの背中に入れて、上から縫いました。それを娘に持たせて、空港に向かいました。表向きは100ドルでしたが、1000ドル近く持ち出せたんです」
後に世界の運命を変えることとなった、くまのぬいぐるみは、今もカリコ氏のそばにあります。
カリコ氏:「これがそのテディベアです。(Q.ここ縫ってある。ずっと大事に取ってあったんですね)」
渡米したカリコ氏が出会ったのが、共同研究者のワイスマン氏。この出会いが、ワクチン開発へとつながっていきます。
ワイスマン氏:「当時、論文を読む方法は雑誌をコピーするしかなく、論文を読むため、コピー機を奪い合っていました。やがて話をするようになり、お互いがやっていたことを比較し始めたのです」
mRNAをワクチンなどに用いるアイデアは、以前からあったものです。ただ、研究者の間では「実現困難」とみなされてきました。体内に入ると異物として認識され、大きな炎症反応が起きるからです。カリコ氏らは、mRNAを構成する物質の1つ『ウリジン』を、『シュードウリジン』という物質に置き換えると、炎症反応が抑えられることを突き止め、安定的に抗体が作り出せることを発見しました。
15年にわたり、カリコ氏と情報交換をするなど親交の深い、東京医科歯科大学の位高啓史教授はこう話します。
位高教授:「mRNAは壊れやすい、扱いの難しい物質で、生物学者には非常に厄介な物質だった。そんなものが本当に薬になるかと。そういうなかで、カリコ先生の仕事がきっかけに、mRNA創薬がスタートした。最初のパイオニア的な仕事の位置付け」
カリコ氏の取材を続けている、ジャーナリストの増田ユリヤさん。授賞決定は、我がことのように、うれしかったといいます。
増田氏:「(Q.カリコ氏をつき動かしていたものは)やっぱり、人を助けたい。そのことに尽きると思う。ペンシルベニア大学研究室の向かいに、病棟があったそうです。そこを眺めるたびに『私は、あそこで苦しんでいる人たちを助けるんだ。それで自分を奮い立たせて、今日まで来た』と言っていた」 (C) CABLE NEWS NETWORK 2023
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