捜査関係者「最後は本名で」と…70年代連続企業爆破で指名手配・桐島聡容疑者か【報道ステーション】(2024年1月26日)

ANNニュース速報

約50年前の連続企業爆破事件の容疑者として指名手配されている極左暴力集団『東アジア反日武装戦線』のメンバー・桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、神奈川県で見つかりました。

東アジア反日武装戦線は、1974年~75年にかけて、10件以上の連続爆破事件を起こした組織です。標的にしていたのは、アジアに進出する大手商社やゼネコンなどで、なかでも三菱重工業ビルを狙った事件では、8人が亡くなり、380人が重軽傷を負いました。
被害者遺族:「1日も頭から離れたことないですね。たたきき切ってやれたら、どんなに胸がすっ飛ぶかと思うけど。犯人捕まっても帰ってくるわけないし。いま自分の生活というか気持ちとしては、とにかく早く…忘れると言っても、忘れられませんけれども。“3人で最初から出発した”と考えて、とにかく親は私しかいませんから」

桐島容疑者は『韓国産業経済研究所』のビルに爆弾を仕掛けたとして指名手配されました。

メンバーたちを取材したノンフィクションには、このように書かれています。
『狼煙を見よ』から:「経済大国日本の存在自体が、アジアの民衆にとっての抑圧となっているという認識である」

70年安保が下火になり、連合赤軍は山に、日本赤軍は中東に活路を見出そうとしているなか、都市型ゲリラを目指した組織が、東アジア反日武装前線でした。

地下出版された本には、このように書かれています。
『腹腹時計』から:「ゲリラ兵士は、市民社会に自らの正体を知られてはならない。表面上は、極く普通の生活人であることに徹すること」

桐島容疑者も、アジトの床下に穴を掘り、そこで爆弾作りをしていたとされています。
『狼煙を見よ』から:「関係二十一カ所に及ぶ家宅捜索で、約二千五百点の証拠物件が押収されたが、その中には、爆弾原料である塩素酸ナトリウムや爆弾製造器具などが多数含まれていた」

東アジア反日武装戦線をめぐっては、主要メンバー9人のうち、8人が逮捕されています。当時のメンバーは、収監中に亡くなった者、いまだ服役中の者、超法規措置で釈放され、国外に逃げた者もいます。

ただ一人、一度も逮捕されず、逃げ続けていたのが桐島容疑者でした。そんな容疑者を名乗る男が、神奈川県内の病院で見つかりました。

男は、桐島聡とは別の名前を使って入院をしていましたが、26日になって、病院の関係者に「自分は桐島だ」と、名乗ったといいます。男は、がんで入院中という情報もあり、病状は非常に深刻だということです。捜査関係者によりますと、自分ががんという状況から、自ら名乗り出た可能性があるということです。

生存しているメンバーたちのコメントは、今のところ確認されていません。

その一方で、三菱重工は「弊社史において心痛める悲惨な事件の被疑者が確保されたとのことですが、これが事実であれば、弊社としましては、長い年月をかけて捜査されてきた関係の皆さまに深謝申し上げるとともに、法に則り適切に対応いただくことを希望します」とコメントを出しています。

当時、三菱重工に勤めていた人は、いまの気持ちをこのように話しました。
当時三菱重工に勤務していた人:「すごく罪深いことをしているわけですよ。亡くなった人たちは、まったく関係がない通行人だとか。50年も経てば、命の尊さ、罪の大きさをわかって謝りたいとか、釈明するとか、亡くなった人たちの弔いをするとかあってもいいと思う。50年というのは、彼にとって何の意味もない50年だったんじゃないか」

◆改めて、桐島聡容疑者についてです。
1974年~75年にかけて“連続企業爆破事件”を起こした極左テロ集団『東アジア反日武装戦線』のメンバーで、当時は大学院生でした。この集団は、3つのグループに分かれていて、桐島容疑者は『さそり』というグループに所属していました。グループは、単独または共同で東京都内を中心に12カ所を断続的に爆破していきました。

1975年5月にメンバー8人が一斉逮捕されましたが、桐島容疑者は警視庁に指名手配されるなか、半世紀にわたり逃亡していました。桐島容疑者は、三菱重工業ビルの爆破事件には関わっていませんでした。

『東アジア反日武装戦線』は、自分たちの思想を広めるため、冊子を発行していました。テレビ朝日がグループの関係者から手に入れた『腹腹時計』という冊子で、リーダー格のグループ『狼』が出したものです。桐島容疑者を含め、グループのメンバーはこの冊子を持っていたとみられています。この冊子は36ページあり、中には思想だけでなく、爆弾の製造法や仕掛け方などが図解されています。

※事件から約半世紀が過ぎているのに、なぜ、時効は成立していないのでしょうか。 

連続企業爆破事件の多くは、すでに時効が来ているのですが、中には時効を迎えていない事件もあります。実は、逮捕・起訴されたメンバーの中には、その後、1977年のハイジャック事件による超法規的措置で釈放され、後に国外逃亡した人間がいます。裁判中の逃亡となるため、その人間が関わる事件については、時効が止まります。そうなると、その事件の共犯である桐島容疑者の時効も成立せず、半世紀前の指名手配が今も有効になるということです。

◆警視庁記者クラブにいる松本健吾記者に聞きます。

Q.50年経って、なぜ、いま、確保に至ったのでしょうか。
捜査関係者によりますと、男は「最後は本名で迎えたい」という趣旨の話をしていることがわかりました。 そうしたことも、今回、名乗り出たということにつながったのかもしれません。そもそも、今回の経緯として、警視庁公安部の捜査で、桐島容疑者とみられる男の存在が浮上したわけではありません。そのため、公安部としても十分な体制をとれていたとはいえない状況です。さらにいえば、約50年前の事件です。捜査員から幹部まで、発生当時にこの事件を捜査した捜査員はいません。公安部は、25日夜から病院内で男から話を聞いていますが、この男と身長160センチほどである桐島容疑者は、身体的な特徴が似ているということです。今後は、DNA鑑定を含めて、慎重に特定に向けた捜査が進むものとみられます。

Q.まだ本人とは確定していませんが、今後、逮捕といった対応は取られるのでしょうか。
逮捕するかどうかについては、ある捜査関係者は「医師の判断だ」と話しています。一番に求められているのは、容疑者の逮捕ではなく、真相の究明です。病院を出て逮捕したあとに、亡くなる危険性が高まるのであれば、身柄を拘束することは慎重に検討されるものとみられます。証拠隠滅や逃亡のおそれが少ない状況であれば、逮捕という手続きをとることなく、任意で事情を聴きながら捜査が進められ、真相究明が求められるものと考えられます。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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